海なりの様に響く低音と、天高く上る風の様な高音が交ざり合う唄者「石原久子」

石原久子

奄美大島で歌い継がれている民謡は通称「シマ唄」、シマ唄を歌う人は唄者「ウタシャ」。
奄美大島の南部地域の宇検村や瀬戸内町で歌い継がれるシマ唄(民謡)をヒギャ唄といい、北部地域の唄(カサン唄)と比べると、抑揚などに違いがあるそうです。

山に高低のある南部だからでしょうか、シマ唄の抑揚にもその山の姿の様な高低の幅があります。
そのヒギャ唄の第一人者が、石原久子さんです。

 

ハレヰ イマヌ カヂャクモ クモヤ

石原久子

若手唄者として活躍されている前山真吾さんも石原さんの門下生のお一人。石原さんの三味線シマ唄教室には、年齢問わず小学生から高齢者までの大勢の方が通っていらっしゃいます。

後継者を育てるうえで大切にしているのは、唄の歌詞の意味を語り継ぐことだそうです。

そんな石原さんが一番お好きな曲は、「いまぬ風雲節」。

イマヌカヂャクモクモヤ ムラガウエニタチュリ ワシガトノジョヤジョヤ オーニシハラタチュリ
意味:家人がいままさに船を沖合へ繰り出そうとしているその時、上空に雲が立ち込めている。家人の身を案じ、無事を祈る想いを唄っている。

*注:歌詞の解釈は、いくつかあると言われています。

シマ唄の意味を知ると、また違う世界に誘い込まれます。
音や声、リズムなど以外にも、何故、歌詞の意味を大切にするのでしょう。
そこには、シマ唄の成り立ちも隠されています。

 

昭和12年生まれの石原さんが、シマ唄を唄うようになったのは小学校5、6年生の頃。
子守歌代わりに聴いていた三味線とシマ唄は、自然に身についたそうです。

石原さんの唄は地元でも評判になり、昭和47年、48年とレコードが発売されました。当時、女性がシマ唄のレコードを出すのは、大変珍しかったといいます。

石原久子

シマ唄は、日常生活から生まれた

石原久子

宇検村でお祝いの席で唄う歌・祝い歌は、「朝顔節」と決まっており、必ず紋付き袴の姿で唄うそうです。

唄うことに対する「自らの姿勢」への厳しさと相反する、サービス精神旺盛な優しいお人柄。
それはまるで、石原さんの低音と裏声の抑揚あるシマ唄のよう。

低く太い音から、突き抜けるような高い音。 暗い波間から、空へ伸びる光りのように、シマ唄が風の中で響きます。

シマ唄は、日常生活から生まれたといわれています。
喜びを分かち合い、苦しみを楽しさへ変換させるような大切なツールだったのでしょう。

“唄い出せばキリがないほど数多くのシマ唄がある”という意味の「うたぶくろ」と呼ばれる地で、石原さんのシマ唄を聴いてみませんか。
素敵な旅の始まりになるかもしれません。

石原三味線教室

石原 久子
住所:宇検村湯湾1006-1
TEL:0997-67-2662

この記事を書いたフォトライターPHOTO WRITER

セラピスト/エッセイスト。奄美大島出身。奄美の地元紙、南海日々新聞にて2013年から紬随筆を執筆中。島内外の人と人を繋げるイベント等を企画・運営している。奄美黒糖焼酎語り部として、エフエムうけんにて黒糖焼酎を宣伝するための番組を企画、パーソナリティーを務める(2015.3まで)

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