【消えゆく伝統技術に迫るvol1】大島紬は2度織られる~「締機(しめばた)」工程に迫る〜

島コト

2019/08/16

ペン

田中 良洋

本場大島紬しめばたの工程

日本には様々な伝統産業があり、技術を高めた職人の方がその産業を支えています。素晴らしく後世に残したい技術がたくさんありますが、後継者が育たず技術の伝承ができないのは、今や日本全体の問題です。

奄美大島の伝統産業、大島紬も同じです。大島紬は、かつて奄美大島を支える基幹産業のひとつでした。世界三大織物のひとつと呼ばれ、着物好きなら誰もが憧れるほどだった大島紬。軽くて丈夫なので、親子三代で着れると言われるほどで、ピーク時には30万反を超える量が生産されていました。

1948年ごろ、大島紬の生産に携わっていたのは約14万人。各集落に工場があり、家庭に一人は従事している人がいるほどでした。どこからか、パッタンパッタンと機織りをする音がしていたので、奄美大島に住む人は機織りの音を聞くと懐かしく感じる人がほとんどです。

本場大島紬しめばたの工程

かつてはそれほどまでに栄えていた大島紬ですが、今は時代とともにニーズが減り、昭和40年をピークに、作っても売れなくなってしまいました。約30万反生産されていたのが、今や4000反を切るほどです。

従事者も減り、高齢化が進んでいます。技術者のほとんどが60代、70代になってしまい、数年したら技術が途絶えてしまうのではないかと、危惧されている状況です。

工程が数多くあるので、どれかひとつでも後継者がいなくなってしまうと完成できなくなるのが大島紬です。今回は、特に後継者が少なくなってしまっている工程のひとつ、締機(しめばた)についてお話します。

 

締機とは絣筵をつくる作業

本場大島紬制作工程

大島紬は30〜40の工程があります。通常の織物では、織りの工程は一回しかありませんが、大島紬では二度、織りの工程が入ります。二度の織りのうち、最初に行うのが締機です。

大島紬は、布に糸で柄を織るのではなく、あらかじめ書いておいた図面に合わせて糸を染めていきます。柄に合わせて一本の糸に、ここからここまでは黒、次に赤が入り、そのあとの白、といった具合に色を入れていきます。少しでも入れる位置を間違えてしまうと図面通りの図柄ができなくなってしまいます。

本場大島紬しめばたをする職人

では、どうやって色を入れる場所と入れない場所を区別するのでしょうか。大島紬では織機を使って絹糸に綿糸を織り込んでいきます。

板にスプレーで色をつけることを想像してください。色がついて欲しくないところはあらかじめガムテープを貼っておきます。スプレーを吹きかけた後にガムテープを取ると、貼っていた部分だけ色がついていない状態になります。このガムテープを貼る作業が締機です。絹糸が板、綿糸がガムテープの役割をします。

絹糸に綿糸を織り込んだものを絣筵(かすりむしろ)と呼びます。この絣筵を作ることこそが、締機の役割になるのです。

 

紬は目と体さえ元気ならいくつになってもできる

本場大島紬しめばたをする職人

今も締機を第一線で担当している屋井和久さんにお話を聞いてきました。屋井さんは現在69歳。大島紬には26歳から携わっているベテランの職人です。

ひとつひとつの工程の技術を習得するのに数年かかる大島紬ですが、屋井さんは多くの工程の技術を習得し、現在は自分でも古典柄を作成することがあります。

締機の作業は特に正確さが必要な作業です。「正確さと真面目さがなければできない作業だ。」と屋井さんは言います。昔は締めるのに力も必要でした。そのため、男の仕事のイメージもある締機ですが、今は締機にコンプレッサーがついたので女性でもできる仕事となりました。そのため、1年〜2年でも十分に技術を習得することができます。

本場大島紬しめたばをする織り機

長年紬業界に携わってきた屋井さんだからこそ、業界の変化は肌で感じています。

「ずっと紬の仕事だけしてたわけでもないんです。やっぱり食っていけない時期もあったので。だから別の仕事もやりましたよ。でも、定年を迎えて年金暮らしになっても趣味で古典柄を作成することがやりがいになっていますし、こうやって締機の技術が仕事にもなっているのはありがたいです。目と体さえ元気なら紬の作業はできるので、70歳になっても80歳になっても携われる技術であることが紬の魅力ですね。」と話します。

大島紬をめぐる状況は昔と比べたら確かに良くはないのかもしれません。しかし、この貴重な技術を後世に残せたらと思い、屋井さんは今も締機の技術を若い人に伝えています。

 

大島紬は締機があってこその作品

本場大島紬しめたばをする職人(女性)

小池祥子さんは移住して19年目になります。もともと服飾関係の仕事をしていた小池さん。サーフィンで奄美大島に訪れた時に大島紬の生産過程を知り、「すごいな」と感動したのが最初の出会いでした。その後、大島紬の勉強がしたくて島に移住し、工房で勉強していました。

結婚や子育てがあり、しばらく大島紬のことから離れていましたが、今年からまた原点に戻り、締機の技術を学ぶようになりました。

なぜ、数ある工程の中から締機を選んだのか。

「制作過程を知りたかったんです。大島紬は先染めなので、締機があってこその作品だと思う。準備段階に魅力を感じたんです。」

自分自身で選んだ工程でしたが、やはりイメージと現実ではギャップがあったと言います。

「思った以上に肉体疲労がありました。細かい作業をするので目も疲れますね。もう10年若ければなんて思いますけど、島の人は70、80でもこの作業しているのですごいです。島の人の元気さにはほんと、びっくりしますね。」

本場大島紬しめたばをする職人

小池さんはまだ習い始めて3ヶ月なので、多くのことを覚えるのでやっとの状態です。

「やることは単純だけど、間違わないようにすることが難しく、生真面目さと忍耐が必要だと思います。ずっと同じことが続くので、気力と体力がないと気持ちがついていかない作業だと痛感しています。だけど、難しいからこそやりがいを感じますし、いずれは要望に応えられるような技術を身に付けたいですね。」

と話す小池さん。

「いずれは屋井さんのように自分で図面を書いて作品を作れるようになりたい。」

という目標も話してくれました。

 

紬の技術を学んでみたいあなたへ

大島紬を取り巻く環境は決して明るいものではないかもしれません。しかし、このままでは貴重な伝統技術がなくなってしまうのも事実です。

本場奄美大島紬協同組合の前田 豊成理事長は次のように語っています。

「昔に比べてニーズは減ったが、今は本当に着たい人が買いに来てくれている。着やすい柄もたくさん出てきているし、若い人でも着物に興味を持つ人が増えてきている。今は一時期よりも期待できる。」

大島紬について話す男性

確かに都会でも若い人が進んで着物を着る光景を見ることが多くなりました。どうすればもっと多くの人に紬の魅力を届けられるのか考えることも、今の大島紬産業の携わるひとつの魅力かもしれません。

現在、奄美市と龍郷町では大島紬の技術を学ぶ後継者の育成に取り組んでおり、紬事業者が後継者を正規に雇用する体制が整いつつあります。生産数が減り、なかなか集中して技術を学ぶことが難しかった大島紬ですが、この制度を利用すれば2年間向き合って技術を学ぶことができます。

また、2020年の2月には移住体験ツアーも予定しています。詳しくはこちら。

※【ご報告】満員御礼!移住体験ツアーは現在キャンセル待ち受付中です。

 

続きはこちら

https://www.amami-tourism.org/13646/

ペンアイコン
この記事を書いたフォトライター

田中 良洋

田中 良洋

映像エディター/予備校スタッフ 兵庫県出身。奄美群島の文化に魅かれ、2017年1 月に奄美大島に移住。島暮らしや島の文化を伝えるために自身のメディア、離島ぐらし(https://rito-life.com/)を運営する。

Related Articles 関連記事