子供の心と体に島の魂がぐんぐん染み込む「大笠利わらぶぇ島唄クラブ」

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南国の夜も更ける午後8時。奄美市立笠利小学校の一室に、子供や大人が集まってくる。地域の子供たちが島唄を学ぶ「大笠利わらぶぇ島唄クラブ」のスタート時間だ。全国の民謡大会大賞受賞者を輩出するなど、若手唄者が育つ場として知られているが、重視するのは唄のうまさだけではないのだという。

 

「家族」みたいなクラブ活動

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現在在籍するのは、小学生9人、中学生5人の子供たち。学校の一室が練習場所になっている。練習の雰囲気は存外ゆったり。ほとんどの子供たちが近隣の集落に住み、同じ笠利小中学校に通うため、大人も子供も先生も、互いの親戚・家族まで知り合う仲だ。

講師が後ろから見守る中、上級生は三味線やチヂン(奄美の太鼓)を担当。下の子たちは譜面を見ながら声を張り上げる。

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「グイン」と呼ばれる独特の裏声と抑揚で奏でられる、情感豊かな島唄の調べ。
隣で歌う上級生の声を聴き、真似ながら、島唄は自然と心と体に染み付いていく。

 

方言禁止令に危機感「奄美の文化残さなくては」

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クラブは、教員をしていた山田望氏によって、昭和58年に大笠利集落で始められた。当時は方言の使用が禁止され、標準語が奨励された時代。「このままでは奄美の文化が廃れてしまう」という思いを強くし、退職後に公民館講座として島唄クラブを開講したのだという。

その後、山田氏の逝去でいったん途絶えたものの、「子や孫に島唄を教え続けてほしい」という遺志が継がれ、島唄クラブは再開。次第に規模を拡大し、多いときでは60人近い子供たちが在籍したことも。

現在は少子化の影響で数は減っているが、かつての児童が親となり自分の子供を通わせるなど、世代を越えて受け継がれているのだとか。

望氏の孫にあたる肥後智子さん(37歳)もその一人。祖父から学んだ島唄は、いま自分の子供、つまりはひ孫たちに受け継がれていっている。

 

「うまく歌う」ことだけが大切じゃない

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奄美大島には高校までしかないため、多くの子供たちは10代でいったん、島を離れる。

「子供のときはわからなくても、大人になってからふるさとを懐かしく思い出し、その価値に気づければいいですよね」と、肥後さん。

島唄は、島を知るための一つのツール。学ぶ目的は、けしてうまくなることだけではない。唄のほかにも機織りをしたり、塩づくりや米作りなどの体験学習に力を入れている。

異年齢のなかで伸び伸びと唄い、演奏する子供たち。意識せずとも心身に染み込んでいる「島唄」の調べを、島を離れたとき子供たちはどんな風に思い出すのだろうかと感じた。

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大笠利わらぶぇ島唄クラブ

住所:鹿児島県奄美市笠利町笠利399
TEL:090-5940-5393(連絡先:山田逸郎 クラブ代表)
教室の時間:毎週土曜日20:00~21:30

この記事を書いたフォトライターPHOTO WRITER

ライター/しーまブログ編集長。東京都出身。大学時代に訪れた与論島にはじまり、縁あって奄美大島の新聞社に新卒で就職。さらに縁あって島人と結婚し、自らが島人となり奄美に完全に根を下ろす。フリーライターなどを経て2014年にしーまブログに入社し、現在に至る。

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