島の心を歌う”もう一つの島唄”「奄美新民謡」~作曲家の久永美智子さんに聞く

「新民謡」とは、大正末期から昭和初期にかけて全国的に流行した、いわば各地域の「ご当地ソング」。奄美でも同様にこの歌文化が広まり、昭和30年代には「島ブルース」や「島育ち」といった名曲が全国的にブームともなった。

この奄美新民謡の全盛期から今日にいたるまで、歌手・作曲家として精力的に活動し、「島の心」を歌でつないできた、久永美智子さんに話を聞いた。

 

島唄と奄美新民謡の違いって?

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「鳥も通わぬ加計呂麻島に 通う小舟は恋の舟
忘れられない想い出を すてて切ない波枕」(「加計呂麻慕情」 作詞:山田サカエ 作曲:久永美智子)

島を舞台にした切ない状況描写に、久永さんが情感たっぷりの旋律をつけた名曲。

このように、奄美新民謡は島口(方言)ではなくヤマトグチ(標準語)で島の暮らしや情景を歌うのが特徴。ただし、一部では島口や島唄のフレーズを使用しているものもある。

方言がわからなくても歌えるため、特に方言禁止令の影響を受けた世代(50-60代など)のシマッチュからの支持が高い。(※現代の楽曲は「奄美歌謡」と呼ぶなど、新民謡と区別をすることもある。島唄「セントラル楽器」を参照)

 

歌好きの少女がギターと出会い、作曲家へ

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久永さんは昭和17年に大阪に生まれ、両親は瀬戸内町嘉鉄集落出身。小さいころから歌が大好きな少女だった。祖父母や両親は唄・踊りの名人だったにもかかわらず、三味線ではなくギターに夢中になった。大阪、奄美大島、鹿児島と居住地が移り変わったことが影響したのかもしれない。

奄美の新民謡界を牽引(けんいん)した大御所との交流は深い。

大ヒット曲「島育ち」の作曲家・三界稔氏や、「名瀬セレナーデ」「農村小唄」などの名曲を生んだ作曲家・村田実夫氏など。久永さんが歌手としてレコーディングに参加したり、ともに地方巡業したりというエピソードなど、話は尽きない。

 

うれしいときもつらいときも、常に歌があった

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結婚、子育て中でも、歌手や作曲活動を続け、これまでに作った曲は100曲以上。全国カラオケにも90曲以上が配信されているという。

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心がけているのは「覚えやすくて歌いやすい」曲。
詞の情感を盛り上げる強弱、すぐ口ずさめるような親しみやすさ。歌詞と曲の融合によって、聴いた後には島の情景がストンと心に残るようだ。

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新民謡・奄美歌謡ファンは多い。コンサートやCD制作にと、70歳を超えた現在でも活動は精力的だ。

大御所ながらお茶目で気さくな素顔も、多くのファンをひきつける魅力のひとつ。

「新民謡はいい歌がいっぱいあるので大事に残していきたい。若い人にも歌ってもらえるよう、好きになってもらえるように仕掛けをしていかなきゃね」。純粋で情熱的な歌への思いは、増すばかりだ。

この記事を書いたフォトライターPHOTO WRITER

ライター/しーまブログ編集長。東京都出身。大学時代に訪れた与論島にはじまり、縁あって奄美大島の新聞社に新卒で就職。さらに縁あって島人と結婚し、自らが島人となり奄美に完全に根を下ろす。フリーライターなどを経て2014年にしーまブログに入社し、現在に至る。

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