奄美が”アメリカ”だったとき~知られざる奄美の歴史の跡を巡る

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奄美群島には、実は日本ではなかった時代が存在します。
第2次世界大戦後、奄美群島は沖縄と同じく日本から切り離され、米軍統治下に置かれました。島人たちの悲喜こもごもが詰まった、日本に復帰するまでの濃密な8年間。歴史の跡を巡りました。

 

突如訪れた、”日本ではなくなった日”

 

1945年、ようやく終焉を迎えた戦争。しかしその後、奄美群島に下ったのは日本からの分離、そして米軍占領下に置かれるという命令でした。

本土への渡航は厳しく制限され、パスポートの取得が必要に。貨幣も米軍の「B円」を使用するなど、奄美は日本ではなくなりました。

島外との交易はほぼ途絶えたため、人々の生活は困窮するばかり。慢性的な食料・物不足で、勉強するための教科書すらないという事態に陥っていました。
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こちらは当時奄美大島にあった米軍政府「奄美地区民政府」の名称が記されたプレート(奄美市小俣町)。この橋の向こうに、米軍の官舎がありました。

 

「日本に復帰するぞ!」みんなの心をひとつに高めた場所

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「日本復帰運動発祥の地」という碑が建つのは、奄美市立名瀬小学校の校庭です。

「なんとしても日本復帰を」という声が集い、心をひとつにしたのが、この場所。

復帰が叶うまで幾度も集会が開かれたほか、復帰が決まったあとの祝賀会もこの地で開催。当時の人々の怒りと喜びの感情を受け止めてきた、象徴的な場です。

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石段は当時のまま。この石段の上が壇上となり、復帰への熱い思いが訴えかけられたのでしょう。

 

闘いの末、勝ち取った「クリスマスプレゼント」

 

人々の日本復帰に対する思いが強くなる一方で、米軍による集会や言論の自由に対する抑圧も強硬さを増していきます。

しかし人々の熱意は翻らず、泉芳朗氏を代表とする奄美大島日本復帰協議会による大規模な断食祈願や、14歳以上の在住者99.8%を達成した署名運動を展開。のちに「無血の民族運動」と評されたこれらの活動は中央を動かし、ついに1953年12月、奄美群島は日本復帰を果たしました。

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奄美市名瀬の中心部にあり、名瀬街のシンボル的存在「おがみ山」には、”復帰の父”と親しまれる泉芳朗氏の胸像と日本復帰の碑があります。毎年の復帰記念日12月25日には、この場所でセレモニーが開催されています。

米軍統治の歴史は、奄美群島にとってもちろん負の歴史です。しかし一方で、島人としてのアイデンティティーを高め、一致団結して復帰を勝ち取った誇りの歴史でもある、と言えるのもかもしれません。

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この記事を書いたフォトライターPHOTO WRITER

ライター/しーまブログ編集長。東京都出身。大学時代に訪れた与論島にはじまり、縁あって奄美大島の新聞社に新卒で就職。さらに縁あって島人と結婚し、自らが島人となり奄美に完全に根を下ろす。フリーライターなどを経て2014年にしーまブログに入社し、現在に至る。

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