ストイックなまでに、まっすぐに島唄に向き合う若手唄者:前山真吾

島唄

2016/07/10

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奄美民謡大賞を受賞した唄者_前山真吾

2011年に奄美民謡大賞を受賞した、唄者の前山真吾(まえやま・しんご)さん。

若手では女性唄者の活躍が目立つ中、10年ぶりの男性唄者の大賞受賞に注目が集まりました。
現在は、島内のみならず、国内外の数々のステージで島唄を披露しています。

中学時代にギターを始め、高校時代は友人とロックバンドを組むなど、音楽が好きだった前山さん。
もともと島唄には全く興味がなかったそう。

 

飲食店で唄う前山真吾

転機が訪れたのは、19歳のとき。
ある男性の島唄を聞き、その土着的な唄声に「ビビッときた」と前山さん。
その日のうちに、島唄を始めることを決意します。

「ハマったら周りが見えなくなる性格」の前山さんは、すぐに島唄のCDを大量に借りたそう。

そして、宇検村出身の唄者・石原久子さんの島唄教室に通い始めます。
当初は、小・中学生と一緒に、楽譜を見ながら習っていたそう。

けれども、「ギターも三味線も、楽譜を見て弾くことができないんですよ」と言う前山さん。
先生の指を無我夢中で見て練習するようになります。

前山さんは、習い始めて3か月で5、6曲をマスター。
教室の後に、マンツーマンで先生の指導を受けることに。
また、週2回ほど先生のご自宅に通い、指導を受けていたそうです。

 

三味線を弾く前山真吾氏

「上手くなりたくて、毎日、島唄ばかりの生活だった」と笑います。
朝起きてから、夜寝るまで、ずっと島唄のCDを聞いていたそう。
また、ヒマがあれば三味線を弾き、「三味線の竿の角が、汗ですり減るほどだった」と言います。

一方で、いろんな場所で島唄を披露し始めた前山さん。
初めての大きなステージは、ご自身の成人式だったそう。

そして、数々の大会に出場し始め、2005年、奄美民謡大賞で新人賞を受賞。
そのころは、「とにかく上手に唄いたい」という想いが強かったと言います。

 

飲食店で唄う前山真吾さん

前山さんの想いに変化が生まれたのは、唄者の西和美さんのお店を訪れるようになってから。
西さんや常連さんとの唄遊びを通して、「島唄って本当はこういうものなんだ」と、島唄の楽しさに気付いたと言います。

そして、もっと深く唄の意味や背景を知るために、唄にゆかりのある場所へ出かけるように。
その場所を実際に見て感じると、「自然と、唄に自分の想いを入れて唄うことができるようになった」と言います。

 

飲食店で唄う前山真吾さん

島唄の世界では、唄の背景も含め、唄を熟知している人のみが、敬意を込めて「唄者」と呼ばれます。
前山さんは、「自分はまだまだ」と言います。

「唄者になりたい」。
どこまでもストイックに島唄に向き合う、一人の若い唄者がここにいます。

 

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この記事を書いたフォトライター

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事務職/ライター/元ダイビングインストラクター。はじめて島の海で泳いだ日から島の海の美しさのとりこになり、単身で移住してしまった奄美3世。趣味はスクーバダイビングと写真撮影、そして旅。休みの日は、カメラ片手に海に入ったり、ドライブをしたり、美味しいものを食べ歩いたり。まだまだ島を探検中の新米ライター。大阪府出身。

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