兵隊達も見た夕陽~奄美大島西端西古見集落の戦跡めぐりとサンセット

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色濃い海の大島海峡を眺め奄美市名瀬から車を走らせること2時間。
奄美大島の最西端、サンセットの名所である瀬戸内町西古見集落へついた。

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西古見集落へ来ると、同じ奄美大島なのにまるで海を渡ってどこか遠いところに旅をしにきたかのような感覚に襲われる。


点在する珊瑚の石垣。
もちろんコンビ二など都会的なものは一切ない。
夕刻になれば、自然の造形であるサンセットが、昔も今も変わらない圧倒的に美しい世界を見せてくれる。
距離だけではなく時間さえトリップした妙な気分になる、素敵な場所だ。

そんな一見のどかな雰囲気の西古見だが、実はまったく逆の一面もある。

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集落の家々を過ぎてさらに奥、島の西端方向へ車を奥へ進めると、やがて右手にコンクリートの建物が見えてくる。旧日本陸軍の兵舎跡だ。

戦時中、奄美大島と加計呂麻島の間にある大島海峡は日本軍の戦術上の要所として重要視され、砲台や司令部、監視所、弾薬庫などさまざまな施設整備が施された。西古見には至るところに戦跡が残っている。太平洋戦争の時は砲台が使われ、一帯は火の海と化したそう。

陸軍兵舎跡、とされるこの場所。ここで旧日本軍は生活していたのだろうか。決して広いとは言えない大きさだ。
今は草木に覆われてほとんどが隠れてしまっている。空気の重たい、入るのに勇気がいる場所だった。

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さらに道を奥に進むと、左手に西古見観測所跡公園が。
綺麗に舗装された階段を登っていくと『掩蓋式観測所【えんがいしきかんそくじょ】』がある。

看板にはこう記されていた。

【この観測所(壕)は,旧日本陸軍により昭和15年に建設され,正式には「掩蓋(式)観測所」と呼ばれた。銃撃目標の方向と距離を測定し,山陰に設置された砲台に連絡する役割を担っていた。
平成16年5月に整備されるまでは,草木に覆われ外部からは全く見えないように覆われていた。壕内部の中央台座には監視用の望遠鏡が設置されていた。また、中のコンクリート壁には会場の岩や島々の国が描かれ、距離などが細かく記されている。】

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観測所のなかから外を見ると、雄大な大島海峡が飛び込んでくる。

日本軍はこの場所からどんな気持ちでこの景色を見ていたのだろう。そんな思いを馳せながら海を眺めた。

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帰り道、西古見の象徴でもある、3つの大岩が連なる「三連立神」の後ろに夕陽が見えた。

戦跡を巡った後に見る西古見の夕陽はなんだかとても切なかった。戦時中、兵隊達もこの夕陽を見たはずなのだ。何度も何度も。

ぐっと深みを増した西古見サンセットの美しさを感じながら、私は自分が今おかれている環境の幸せを、ただひしひしと噛み締めた。

この記事を書いたフォトライターPHOTO WRITER

フォトグラファー/しーま編集部。 奄美2世。大阪のフォトスタジオで勤務後、 幼少期から何度も訪れていた思いいれのあるシマに2014年移住。写真や言葉にするのが難しい奄美の美しさをどう表現するか日々模索中。

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