嶺山公園でなにを祈る? 東シナ海に突き出した岬で絶景ピクニック

初めて訪れたのは、今年の4月下旬。

その日は風が強くて、展望台に登ったら空に舞い上がりそうだった。でも、そこから視界いっぱいに広がる水平線と空に、息を深く吸い込んだ。

西の方を見たら、はるか崖下の海面に反射する太陽の光がまぶしい。雲の影が海だろうが山だろうが縦横無尽に走っていく。

こんなダイナミックな絶景が奄美にもあるんだと、私の奄美データが改新された。

岬が連なり、離れるほど色が淡くなっていく

岬が連なり、離れるほど色が淡くなっていく

私が、奄美でも指折りの絶景ポイントだと思う「嶺山(みねやま)公園」は、大和村の県道79号沿いの中間あたりにある。

海に大きく出っ張っている岬にあり、大山崎灯台が立っている。天気が良く、空気が澄んでいる日はトカラ列島の宝島まで見える。

また、冬になると大和村沖にはザトウクジラがやってくる。公園から潮を吹く姿も見られるという。

4月下旬はツツジが咲き、斜面が赤く染まる

4月下旬はツツジが咲き、斜面が赤く染まる

県道から「長寿の道」もしくは「健康の道」の階段を登るか、駐車場脇の遊歩道から10分くらい登れば展望台に到着する。まさに絶景! テーブルや椅子があるので、お弁当でも持って行ったら最高のピクニックになるはずだ。

展望台への道はいくつかあって、急だけど短い階段と、緩やかで遠回りの遊歩道がある

展望台への道はいくつかあって、急だけど短い階段と、緩やかで遠回りの遊歩道がある

しかし、この展望台は、ただの展望台じゃない。

あまりに見晴らしが良いため、1185年に源平合戦で敗走した平家が見張番所を立てた。当時はのろしを上げ、龍郷の方までサインを伝えたという。

駐車場から東の名瀬方面を向いたところ

駐車場から東の名瀬方面を向いたところ

また、ここは聖地。

明治時代には内地に出稼ぎに行った人々の無事を、さらに大東亜戦争中は戦地に向かった人々の無事を祈願する場所だった。

「虎は千里行って、千里帰る」ということわざから、寅の日に祈っていたという。近年展望台付近からは、お祈りに使った徳利や杯がたくさん発見された。

展望台には「祈 平和」と書かれた大きな石碑がある。自身も出兵経験のあった大和村の元村長が、ここに立てることを指示したと聞いた。

この石碑の文字も元村長の濱崎嶺豊さんの書

この石碑の文字も元村長の濱崎嶺豊さんの書

そういえば、大和村に住むおばあさんに聞いたことがある。
16歳くらいの頃、佐世保海軍航空隊にいる兄弟に会いたくて自ら女子挺身隊(未婚女性の勤労奉仕団体)に志願し、初めて島を出た。
「佐世保に行ったら会えると思っていた。田舎者の幼い娘だったからね。」と。

奄美人は海に向かって祈る機会がよくある。嶺山公園ではないが、この写真は今里集落のノロのオムケまつりの写真(昭和53年今里集落) 撮影:桝谷

奄美人は海に向かって祈る機会がよくある。嶺山公園ではないが、この写真は今里集落のノロのオムケまつりの写真(昭和53年今里集落) 撮影:桝谷

奄美の人は、家族を大切にし、同じ集落の人同士も家族のように育つ。その無事を祈る気持ちはいかばかりか。

今も昔もこの岬に立つ人は、水平線を眺めながら、誰かを思い、何かを祈ってきた。

嶺山公園は夕陽ポイントでもあり、海に沈む美しい風景を堪能できる。今度夕陽を見に行ったついでに、私も大切な人たちのために何か祈ってみようかと思う。

嶺山公園の展望台から見た夕陽 2016年7月4日

嶺山公園の展望台から見た夕陽 2016年7月4日

この記事を書いたフォトライターPHOTO WRITER

新潟県十日町市生まれ。地方紙記者、農業、バックパッカーなどを経て、旅行雑誌や旅ガイドシリーズの編集に携わる。同時に、野外フェスの企画運営や、NPO法人で海外教育支援、震災復興支援を行う。2016年4月から奄美大島に移住。大和村地域おこし協力隊に就任。

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