【消えゆく伝統技術に迫るvol3】大島紬の出来栄えを左右する設計図~「図案」工程〜

島コト

2020/11/05

ペン

田中 良洋

世界三大織物のひとつと言われる、奄美大島の伝統技術『大島紬』

複雑な工程を経て作られた紬は緻密で肌触りが良く、着物好きな人にとって憧れの存在です。龍郷柄や秋名柄といった昔から受け継がれてきたデザインもあれば、最近では色鮮やかでモダンなデザインも増えてきています。

そのデザインの要となるのが、大島紬の数ある工程の中でも最初の工程となる『図案』。その名の通り、大島紬の設計図を書く仕事です。

単に柄を書くだけではない図案の仕事。今回は、長年この図案に携わってきた古田さんと、その技術を受け継ごうとしている濵田(はまだ)さんにお話をお聞きしました。

奄美大島 大島紬 amamioshima amami oshimatsumugi 紬 tsumugi 図案

図案から大島紬は始まる

大島紬は一枚の布に柄を描くのではなく、あらかじめ染色した縦糸と横糸を織り合わせて作ります。そのため、どの糸のどこを、何色にするのか決めておかなければなりません。この作業が図案にあたります。

まず始めにおこなうのはデザインのトレース。柄が書かれた用紙にトレース用紙を乗せ、下からライトを照らして書き写していきます。完成品をイメージし、どのようにすればバランスが良くなるのか考えながら輪郭取りをします。

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熟練の図案士になると、トレース作業がとてもスムーズです。

「わたしは何度も消しゴムを動かしてトレースするのに、先生がやると2回くらいでトレースしていた。」

古田さんがかつて師事していた先生の技術はさすがのもの。いまだに足元に及ばないと話します。

次に、トレースしたものを格子点にしていきます。

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昔は方眼紙にひとつずつ点を打っていましたが、今はコンピューターで打ち込みます。

「どこを目立たせたいかで点の打ち方が変わる。図案士によって打ち方は様々だし、センスが出るところ。」

細かく根気がいる作業ではありますが、完成した大島紬の出来栄えを大きく左右する大事な工程です。

図案士は、設計図を書けば終わりではありません。その後の工程でおかしなところがあれば担当の職人と話し合い、図案を見直します。最初に完成形のゴールを示すだけでなく、複雑な大島紬の全工程を見守りながら、描いたゴールに辿り着けるか調整する。それが図案士の仕事なのです。

50年図案に携わってきた古田さん

古田さんは22歳のころに図案士になり、2020年でちょうど50年になります。

「昔はマンガが好きで、あしたのジョーみたいなマンガを描いていたんです。でも、絵は好きだったけど物語を描けるわけじゃない。少年ジャンプに投稿してみたけど賞をもらえるほどではなかった。」

22歳の当時、古田さんは体調を崩し仕事はお休み中。たまたまテレビを見ていたら、NHKの番組で大島紬が紹介されていました。

「これは自分に合っている仕事かも」

もともと絵が好きで、絵を描いていればストレスを感じない性格。絵を描くことが活かされるので自分に合っていると感じたのです。大島紬に携わっている親戚に図案のことを聞き、見様見真似で2枚図案を書いてみたのが古田さんの図案士としての始まりになりました。

できあがった図案を持ち、大島紬の製造会社に面接へ。面接を担当した支部長と図案部の部長が「これは紬の図案にはならないが、素人でこれだけ書けるなら図案部に入っても良い。」とその場で入社が決定したのです。

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それから50年。

時代の変化に伴い、手書きの作業は24年ほど前からコンピューターに替わりました。

「替わることに抵抗はありませんでした。それよりも今までの作業が効率化され、できることが増えることへの期待の方が大きかった。」

50年前は大島紬がもっとも売れた時代です。大島紬は、1972年に最高生産反数である29万7,628反に達しました。古田さんが入社したときは、それに向かうまさに絶頂期。作れば作るほど売れ、給料も上がる時代だったと言います。

しかし、オイルショック以降売り上げが減り、今では年間3,671反まで落ち込んでしまいました。当時は多くいた図案士も、今では数えるほどになってしまいました。

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「状況は厳しいが、技術は伝承はしていかないといけない。このまま変わらないかもしれないし、また状況が一変するかもしれない。今は技術の火を絶やさず、繋げていくことが大事。自分の技術を教えることで協力していきたい。」

50年大島紬と向き合い、技術を磨いてきた古田さん。伝統技術を後世に残すため、今は育成に力を注ぎます。

図案士としてのやりがい

「こうなるだろうなと予想したもの以上の出来になったときが一番嬉しいね。」

図案士の仕事のやりがいを感じる瞬間です。

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もちろん逆の場合もあります。こうなるだろうと予想していたが、その通りにならないことも多いです。図案のときには「これでいい」と思っていても、完成品を見るとイメージしていたものと違う。少しの柄の大きさの違いや、色の明るさの違いでバランスが悪くなってしまいます。

満足いくものができないと3日くらい落ち込むこともあるようです。大島紬は複数の工程を経て作られるので、図案の問題ではないかもしれません。しかし、責任転嫁しては気分が悪くなります。古田さんは完成するまでの工程を確認し、問題があればすぐにチェックします。

「図案を渡してから紬が完成するまでは今でも緊張する」

それだけに、想像以上のものができたときの喜びは計り知れません。織りも良い。加工も良い。締めも泥染も良い。全ての工程の力が見事に組み合わさったとき、イメージしていたよりも良いものができることがある。その瞬間が図案士としてやりがいを感じる瞬間だと言います。

デザイナーから図案士の道へ

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濵田さんは2020年5月から図案を学び始めました。濵田さんは両親が奄美大島出身。ご自身は神奈川県横浜で生まれ、デザイナーとして働いていました。以前の職場での契約が切れ、次の仕事を探しているときのこと。父親から新聞に載っていた図案士募集の広告を見せられ「お前に向いているんじゃないか」と勧められましたことがきっかけでした。

はじめは方眼用紙にひし形などの幾何学模様の輪郭線を描き、それをパソコンに取り込んでソフトの使い方を学びました。少しずつ複雑な模様の輪郭線を取ったり、点を打ったりして図案士の仕事を覚えています。

「もともとデザイナーだったので、書くことや細かい作業は好きでした。なので、このような作業は苦ではなかったです。でも、大島紬の知識はほぼなかったので、糸量の計算や他の工程をイメージするのが大変です。」

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図案を書いて終わりではない図案士。他の工程や大島紬のことを知るため、今は図案だけではなく、できあがったものを検査する工程にも携わっています。

まだ従事し始めて3ヶ月の濵田さん。覚えることが多く大変ですが、少しずつ点を打っているうちにひとつの柄ができていくのが楽しいと話します。

「ひとつの点の打ち間違いが大きなミスにつながるので大変な作業ではあるが、手を動かして作るのが好きな人は向いていると思います。大島紬を取り巻く環境は厳しいと聞いているが、そんな中でもいい仕事ができる図案士になりたいです。」

奄美大島の貴重な伝統工芸品である大島紬。高齢化や後継者問題など、課題はたくさんあります。奄美市では、技術の継承のために職人を育てるプログラムを開催しています。職人の技を学び、大島紬に携わりたい人を募集しています。

詳しくは、本場奄美大島紬協同組合( TEL: 0997-52-3411)までお問い合わせください。

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この記事を書いたフォトライター

田中 良洋

田中 良洋

映像エディター/予備校スタッフ 兵庫県出身。奄美群島の文化に魅かれ、2017年1 月に奄美大島に移住。島暮らしや島の文化を伝えるために自身のメディア、離島ぐらし(https://rito-life.com/)を運営する。