旅という人生のターニングポイントをスタイリングする:RDA(Relaxing Days Amami)脇田深起子

RDA脇田深起子さん

奄美大島出身の両親のもと、東京で生まれた脇田さんは、10歳の頃、奄美大島に来た。

「当時は、居心地が悪かったですね。今までの友達と離れるのもいやだし、まるっきり違う環境に行くのも、子どもにとっては辛いものでした」

脇田さんのご両親いわく、奄美に住み始めてから1~2年は、夜寝ている間に泣いていたそうだ。

「とにかく島を出たくて、高校を卒業して翌日にはすぐに東京に行きました」

短大に入学し、卒業後、OLに。ところが、働き始めて1年で勤めていた会社が倒産した。しばらくは食い扶持を稼ぐために派遣社員として働く。

このまま、派遣としてずっと働くのもどうなのだろう・・・、と思った時に「資格を取ろう」と考えたという。

「オシャレが好きだからファッション関係の資格がいいな、と思って。そこで、ファッションでもネイルでもインテリアでも使えるカラーコーディネイターの資格を取りました」

カラーコーディネイトとは、ファッションやメイク、インテリアや出版物、商品などをより魅力的に見せるために、効果的に色を配色する技術のこと。社会人スクールに通い始めてすぐ、脇田さんは色の世界にハマったそうだ。

RDA脇田深起子さん

「色の世界は奥深くて、どの業界にも欠かせないもの。

色の生理的・心理的効果を使って人の心身のバランスを整えるカラーセラピー、ビジネスシーンで戦略的に色を使うための色彩学、商品のパッケージデザインや車の色などのプロダクトデザインを決める際に必要とされるカラーデザイン、人それぞれの顔かたち、肌の色味にぴったりの色を見つけ出すパーソナルカラーなど、色の世界に関する勉強を片っ端からしました」

そして、カラーコーディネイターの学校を卒業する際の卒業試験で、脇田さんはトップの成績を獲得。六本木ヒルズにあるアーテリジェントアカデミーでレッスン講師としてデビューし、カラーコーディネイターとしての一歩を踏み出した。

「最初は講師だけでは食べていけないから、派遣社員と並行して働いて。

数年が過ぎた頃、カラーの仕事だけで食べていけるようになったんです。そこでフリーランスになり、数年後に個人事業の屋号を法人登記しました」

RDAの撮影風景(脇田深起子)

法人化したあとは、企業との仕事が主となった。

営業マンがより顧客から好印象を得るための、スーツやネクタイのコーディネイト。

ビジネスプレゼンの際、より訴求力のある資料を作るための書類の配色テクニック。

住宅販売場やフォトスタジオのインテリアや衣装のコーディネイトなどなど・・・

順調に仕事は増えていき、そしてそれに伴い多忙も極めていく。

「自営業は、3日休んだら3年は後退する、と言われているんです。周囲の方は華やかな経歴やすごい学歴を持っているけど、私はもともと何もないし、ついていかなきゃ! と思っていて。

住む場所も、取引先の方にいつ呼び出されてもいいように、東京の中心部にしたり。今思うとだいぶ無理をした生活をしていたのかもしれないな、と」

そんな頃、現在の旦那さんと出会い、人生の転機を迎えることとなる。

「出会った頃の彼は大病(ガン)を患っていて、数年前に担当医から言われた『あと○年生きられればありがたいぐらいですよ』が、残すところ約3年という状況でした。彼も忙しい仕事をしていて、そういったストレスも病気の一因だったと思います。

私もずいぶん突っ走った生活をしていたから、一度、休憩しよう。そして、彼の最期を看取るために、自然があってちゃんと人間らしい生活ができるような場所を探そう。

そう思った時に、自分の故郷である奄美が思い浮かびました」

それまでは、奄美に帰ることは冠婚葬祭以外はなかったという。その時間やお金があるなら、海外に行ったり最新の流行アイテムを買ったりしたかった、と脇田さんは話す。

奄美RDA:海での大人ピクニック

「でも、彼と奄美に行ったら、彼がいっぺんに島を気に入って。

『こんなに素晴らしい島があるなんて!』って言うんです。

彼は歴史が好きなので、奄美の各地の遺跡や教会を全部巡りたい、と言って。それから数年は、数か月に一度は奄美に通いました」

当時、旦那さんはガンの治療の最中。続けている治療を中断できないこともあり、すぐに移住したい気持ちはあるものの、現実的には難しかったという。奄美と東京を行ったり来たりの日々を過ごして1年ほどした時に、驚くべきことが起きた。

「海外で新しい薬が開発され日本でも認可されたので、投薬治療を試みたら、それが彼の体に適合して。なんと、ガン細胞が消滅していたんです」

今思うと、奄美に住みたい、奄美にまた行きたいと思う気持ちが、生きる活力を取り戻させてくれたのかもしれない、と脇田さんは言う。

RDA脇田深起子さん大島紬

「また二か月後には奄美へ、という気持ちが、彼にも私にも、すごく支えになったと思うんです」

そして、ようやく奄美大島に移住。しばらくゆっくり過ごしたあと、2017年2月にRDA(Relaxing Days Amami)を立ち上げる。

RDA(Relaxing Days Amami)は

「五感を刺激する大人のための奄美旅」をモットーに奄美への旅行やイベントを企画運営する会社。

大島紬を着ての奄美周遊ツアー、グランピングの要素を取り入れた大人ピクニック、もちろんマリンレジャーや歴史散策ツアー、島在住の女性のためのパーティやイベントなどを行っている。
RDA撮影移動用キャンピングカー

「彼ももともと旅行関係の仕事をしていて、私もカラーコーディネイトやスタイリングの仕事をしていた。

そして、実際に、奄美に来たことで私達の人生は大きく変わり、次のステップに進む活力がもらえた。自分たちのやってきたことで、自分たちが感じた島の良さを味わってもらえたら、と思って、この事業を始めました」

奄美RDA大人ピクニック準備

なんとなくやって来ても、その旅の中でいい時間を過ごすことで、次の人生が変わる。奄美に来たことが、その人の中で、また明日を作るエネルギーになるように。そんな気持ちで、来てくれた人に寄り添った形のツアーをいつも考えていると脇田さんは話す。

奄美RDA大島紬での撮影

「ゆくゆくは、いらっしゃったお客様が、人生に迷ったり、疲れたりした時、深起おばちゃんにまた会いに来たよって、訪ねてきてくれたら嬉しいです。奄美に来たら元気が出るって、それこそ、私達が教えてもらったみたいに」

奄美RDAパーティの様子

今後は、大島紬を味わうプラン、奄美の歴史と文化、生活習慣を味わうツアー、奄美の素材を使ったもの作りを体験できるツアーなど、より深く奄美を知ることができる企画を考えているそうだ。

この時間を過ごせてよかった、奄美でよかった、と思えるように。

脇田深起子

RDA(Relaxing Days Amami)ツアースタイリスト、株式会社アンドカラー取締役。東京生まれ、10歳より奄美大島へ。高校卒業後、上京しカラーコーディネイターとして、企業研修や講演、パッケージやプロダクトデザインのカラー提案、インテリアコーディネイトやカラースタイリングを行う。2017年「五感を刺激する大人のための奄美旅」をモットーに、奄美と出会えてよかったと思えるような旅の時間を提供するツアー&イベント企画運営会社RDA(Relaxing Days Amami)を開始する。

RDA(Relaxing Days Amami)

住所:奄美市名瀬平松町308(営業所:龍郷町赤尾木391)
TEL:0997-69-4676
HP: https://amami-weddingphoto.com/

この記事を書いたフォトライターPHOTO WRITER

作家、ILAND identityプロデューサー。著作に『ろくでなし6TEEN』(小学館)、『腹黒い11人の女』(yours-store)。短編小説『こうげ帖』、『海の上に浮かぶ森のような島は』。2013年、奄美諸島加計呂麻島に移住。小説・コラムの執筆活動をしつつ、2015年加計呂麻島をテーマとしたアパレルブランド、ILAND identityを開始。

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